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最終回
実家に帰ったら、歴史音痴のカーチャン(音楽・映像への感性に定評あり)と「平清盛は振るわなかったねえ」「んー、私は質の高いドラマだと思うんだけどねえ。視聴率はひどいことになってるね」「多分今後はGO路線だよ。あんなのどっか適当な民放がやってりゃいいのに」などと雑談。来年のはまあ捨てるとして、その次のクロカンはどうかなあ……。小早川秀秋との関係とかきっちり描いてくれたら嬉しいんだけど。

・タイトルコール乗っ取られたwww

・「お点前は間もなく、死ぬのでありましょう」「なんじゃ、そういうことか……なんと!?」
 ノリツッコミすかwww

・「頼朝が首を供えよ!」うん、そのセリフが必須なのはわかる。直後にかかったBGMも結構好き。
 ただ、このシチュにその音楽当てるのはどうなんだ。

・ああ、知盛さんが逝ってしまう……

・この辺みてると、平家物語って本当に優れた文学作品だよなあと思う

・三種の神器を抱いて入水したのが当時の世界観でいかにマジキチな所業だったか、そこはドラマのテーマにも関わってくるところだと思う。カットしちゃうのは勿体ない……

・おい知盛の2両鎧エピを変更だと!?(驚いてググったら、どうも歌舞伎や文楽では錨を担いでいた模様。そこは平家物語でいこうぜNHK……)

・そして唐突に腰越状。あれ義経、このドラマで出てきた意義って……

・おお、西行と頼朝の面会をこう活かすか。うん、ここは正直感心した

・あ、分ってたけど郷御前は存在カットなのね。うん、だいじょうぶ、期待なんかしてなかったよ。だから別にがっかりもしてないよ…

・お天狗さんは清盛後の方が面白エピ多いんだけどね、仕方ないね

・一気に室町まで飛んだwww

・うん、面白かった。なんだかんだで面白かったと思う、俺は。








・次回予告ナレ「国のため、そして愛する人のため」
……(アカン)
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上総争奪戦くる!?
・政子、こざっぱりすると予想通りかわいい。もうちょっと(出来れば蜂起直前くらいまで)野人でいさせてほしかった…

・なんか唐突に上総さんが再登場して死んだと思ったら、伊藤忠清再登場。これで忠清VS広常なかったら受信料納付拒否もの

・重衡と維盛はセットでお公家やるかとおもったら、舞の稽古は維盛(+誰か)だけ。やっぱ武闘派エピソードの有無で格差つけるか

・西光がそろそろ謀反の気配

・梁塵秘抄の名文句きた。うん、この人のこういう一面は絶対外しちゃいけない

・重盛の役者がいい顔つきするようになってる

・滋子……露骨な黒秀吉フラグだ
大河実況
・カムロ怖えどっからでてきた。時忠がゲシュタポってる。

・「源氏の魂は断じて滅びぬ」ガンダムで似たようなのがあったような……。アナベルト・ガトーだっけ?

・土木インフラは能動行政の基本。コンクリートから人へ(笑)

・清盛「お若く賢明な帝の母であられる賢春門院様」
 うっさんくせえwwww

・お天狗さんのシリアスひさびさ。近頃は身の程知らずのやらかしばっかりだったk……ああ、史実通りか

・けど、やっぱ「大きいもの比べ」とかのお遊びしてるほうが楽しそう。
 お前らもう禅宗しちゃえよ。

テーマ:大河ドラマ 平清盛 - ジャンル:テレビ・ラジオ

小四郎って義時か
「八郎」って聞こえて一瞬??となった。江間四郎義時って響きなら聞き覚えある。ショタい。

・思ったより政子が可愛かった。野生児強調されてたけど、少なくとも馬に乗れるレベルで野駆けしてたのは史実

・頼朝さんまさか自分探しで挙兵する気か

三浦、上総、佐々木の坂東有力豪族らと北条丸(笑)が車座で雑談。演出上の都合とはいえちょっと・・・

・ただし「町内会のおっさん連中の寄り合い臭さ」は非常によく出ててGJ

・相国入道の生臭さが半端ない。ところで「得度」って普通の人にはわからんのでは?

・九条兼実がおかしい。こんな政局的に強い人だったらこの先あんな苦労はしないはずなのに

・ていうかガチホモさんカムバックかと思った。化粧似せ過ぎ

・平家絡みは手仕舞いにかかってきたな。源氏がらみの比重が増えてきてテンション揚げさせてくれる(ただし歴オタのみ)

テーマ:大河ドラマ 平清盛 - ジャンル:テレビ・ラジオ

大河面白いのにね(´・ω・`)
やっぱ清盛は腹黒な方が面白い。純粋まっすぐ脳筋時代とはなんだったのか。
「ぞくぞくしますな」前後は掛け合いとしての積み重ねを生かしており、なかなかに秀逸。

・九条兼実がこの頃から結構な出番有り。悪者貴族っぽい嫌らしい顔つきで実によろしい。こういう人物が実は秩序や実務を下支えしてるとかいう筋書き、大好物です。

・土御門さん、出てこないかなあ。

・清盛さん、いい話っぽくしてるけど普通に公私混同のコネ人事っすね。まあそのために「真面目に政務を考えてるのは朝廷で清盛だけ」って状況描写したんだろうけど。

・ところでそろそろ伊勢平氏VS坂東平氏の上総争奪戦が始まるころだけど、伊藤忠清の坂東下行は描写しないんだろうか

・周囲の緊張も顧みず子供作っちゃう頼朝の下半身の緩さは本物。

・ていうか義経も後年全く同じ過ちをやらかすあたり、この兄弟の下半身の緩さは本物。

・そもそもその義経が生まれた経緯からして、河内源氏の下半身の緩さは本物。

・一方その頃新田の叔父貴は甲斐源氏や秩父平氏らと婚姻政策を結び、藤姓足利氏からの圧迫をはねつけ、坂東における河内源氏の勢力を必死に守っています。けど報われません。可哀想です(´;ω;`)
足立藤九郎きたーー!!+恐らく出ない甲斐源氏
ちょっとくらい脚本に不満があろうと、終盤のたったそれだけでハイテンションになれるのだから歴オタというのは実にチョロい生き物である。

名字なしの「藤九郎」表記というのが「分ってる感」を醸し出していて実によろしい。後世には安達氏で通っているが、この時点では名字なし(家産ありと認められてない)、頼朝の坂東確保時点では足立と名乗っていた模様。義平が「鎌倉」悪源太を名乗ってたり、この大河は細かいところでオタク心をくすぐってくれる。
これ更に路線延長して「幕府は所詮源氏の家政組織に過ぎなかった」とかまで描写してくれたなら嬉死するかもしれない。そこまでは望まないにしろ、河越・畠山ら秩父党の微妙な持て余し感とか坂東豪族模様を描いてくれると嬉しい。
なお、そのような政治的にも武家的にも人間以下な人物である藤九郎が一端の人物として扱われたのは、頼朝の側近というだけでなく、その縁で得た妻の実家=比企の後ろ盾を得られたことが大きい。


・武田太郎信義
八幡太郎義家の弟である新羅三郎義光から3代下った甲斐源氏嫡流。源頼朝が、その前半生に最大のライバルとみなした同族とされている(おかげで北関東において比較的仲の近かった新田義重まで不当に割を食った)。
以仁王の令旨に応じて石和で挙兵、甲斐の実権を握ると良馬強兵を率いて諏訪・駿河に勢力を拡大。富士川の戦い(実際の勝者は甲斐源氏)後は遠江にまで勢力を伸ばして東海道を制圧する。
が、ここで悪辣なる頼朝の魔手が伸びる。駿河担当の弟・加賀美遠光や遠江担当の弟・安田義定を調略、上洛ルートを確保したところで蒲冠者範頼・九郎義経の対等の同盟軍として木曾義仲追い落としを持ちかける。その後も対平家で共闘していきつつ、頼朝=東海道・信義=中山道ルートで棲み分け……と見せかけて……
木曾義仲の首を取って勲功第一となり、調子に乗った甲斐源氏主力が瀬戸内に出張ったところで、清水冠者義高(木曾義仲の嫡男)追討を発令。甲信地方に足利義兼・平賀義信ら精鋭を送り込むとともに、留守を預かる石和五郎信光を籠絡、これに武田氏継承の名乗りを上げさせる。同じく留守居の一条田忠頼を謀殺し、その郎党を殲滅。武田信光を支援する形で武田信義の軍勢を迎撃し、ついにはこの代替りを認めさせた。
日本史最強の政治的天才を敵に回したが故の、失意の晩年であった。

・石和(武田)五郎信光
武田氏を実質的に継承しながらも名目的には四朗有義を表に立てていた信光だったが、父の死を機に正式に家督を相続、のち有義を排斥する。その後奥州合戦に従軍したほか梶原景時の変・和田合戦・承久の乱など常に勝者の味方に付き、都留大月方面にまでその直轄域を拡大する。以後、鎌倉・室町時代のほとんどを通じ、甲斐国は武田氏の半独立国として扱われた。
また、個人としても頼朝時代以来の古参として、足利・結城らとともに幕府中枢に参画。霜月騒動による得宗専制までは、幕府全体の問題に対しても相当程度コミットしていた様子である。
現在の笛吹市にある石和八幡宮は、この信光の勧進により建立されたと伝わる。
きた!悪源太の兄貴来た!
こいつも大概無茶なキャラなのに、和製呂布のせいで影の薄い悪源太の兄貴が大河に登場。重盛の方を優男キャラに描写してるあたり、待賢門攻防戦や左近の桜・右近の橘は期待できそう。
この義平無双には三浦・上総ら坂東強豪や足立・熊谷ら次期メジャーキャラも参加。名前出るかなあ。

なお正妻は祥寿姫。のちに下半身のだらしなさに定評のある頼朝に手ぇ出されそうになる。……新田の叔父貴の横槍と北条政子のマジギレにより事なきを得るが。

頼朝反攻も結構時間裂きそうなペースだし、そのうち坂東苦労人列伝とか書きたい。想定してるのは新田義重、大内(平賀)惟義、梶原景時、比企能員あたり。


義朝の官位である左馬頭は、当時の最重要軍需物資である馬を朝廷において差配する役割であり、義朝地盤の南坂東とも関連が強く、藤原信頼(武蔵守にして陸奥所領を多数保持)とも繋がりは強いのだが、そういった描写はカットの様子。まあ現行の少年漫画ライバル路線も嫌いじゃない。
軍記物はさておき、信頼も実は地味に武闘派なのである。
大河未登場の人物たち③
・法然房源空
中世思想史における巨人。伝承によると、ちょうど保元元年=保元の乱が起こった年に、比叡山において得業(数多の経典を修了するとともに、日々の修行によって観仏体験を果たした資格)の認定を受けたらしい。

「智慧第一の法然房」とも「愚痴の法然房」ともいわれ、伝説レベルの学習能力で一切経(日本に伝来していた経典すべて)を読破する一方、それでもなお従来の宗派から悟りを得ることができず、ついに自ら宗を立て残りの一生をその普及に費やした。
おほよそ仏教おほしといへども、所詮、戒定慧の三学をばすぎず。
所謂小乗の戒定慧、大乘の戒定慧、顕教の戒定慧、密教の戒定慧也。
しかるに我が身は、戒行において一戒をも保たず、禅定において一つもこれをえず。
無漏の正智、なにによりてか、おこらんや。

この三学のほかに、我が心に相応する法門ありや、我が身に堪へたる修行やあると、
よろづの智者にもとめ、諸の学者にとぶらいしに
をしふる人もなく、しめす輩もなし。


その特徴は「僧俗、身分の高低、行為の善悪、経典理解の如何に関わらず、ただ個人の信仰によってのみ人は救われる」というプロテスタンティズムを350年先取りした超先鋭理論。当時の仏教は鎮護国家思想に由来する南都六宗+山林仏教や、現世利益を標榜して貴族スポンサーを獲得する氏寺であったため、組織化ツールとしての仏教を否定する浄土宗は強烈な論難を受けた。が、崩落していく国体の姿に既存の価値観が強烈に揺るがされる世相の中、厭離穢土・欣求浄土というシンプルな主張は、中流下層を中心に広く受け入れられた。



同時代の信徒の有名どころでは、藤原摂関家氏長者の九条兼実(玉葉の著者、あるいは頼朝の征夷大将軍着任の中心となった人物として有名)、結城朝光(鎌倉旗揚げ組の一翼にして前北条中期の長老格、頼朝の御落胤説アリ、梶原景時失脚の一因)、熊谷直実(敦盛で有名)など。
哀と悲しみの怨霊様その3
奇跡のシンデレラボーイとなったお天狗さんだが、皇位継承が期待できない放蕩者にまともなスタッフ・側近などない。自然、乳母父の腐れ縁で仕方なく世話を焼かされていた信西が、貴重な懐刀として宮中を切り盛りすることとなる。
更に運命の魔物は躍動する。お天狗さんが即位して約一年後、治天の君として絶対権力をふるっていた鳥羽院が逝去。その後怨霊様は葬儀参列すら拒絶され、失意に暮れているところをガチホモの毒牙にかかり頼長の弁舌に誘われて乾坤一擲の勝負に担ぎ出される……この辺は大河で十分に描写してくれたし、満足しているところ。

戦後処理については、薬子の変が先例として参照される。この例によると敗北した上皇は出家、配下の武装貴族は死罪であったが、今回は薬子の変と違って洛中での武力衝突が起こったことを加味してか、剃髪して出家済みの怨霊様には配流の命が下される。
なお、和製呂布については(武士団首脳でなかったことから)死罪ではなく島流しとなるが、「配流先の伊豆大島を中心とする7島を切り従えるも、討伐軍に敗れて自害」という後日談がある。これは文献上に残る、最古の切腹であると伝えられる。他にも伝説として琉球王国の正史に建国王の父として名を連ねるが、こちらは「それだけ広く武名が轟いていた」とみるのが妥当だろう。

配流先の怨霊様に目を戻すと、そこにはあれだけの仕打ちを受けてなお世を憎まず、天下平安を願って五部大乗経の写経に勤しむ崇徳上皇の姿があった。怨霊様マジ天使。
五部大乗経とは全140巻、それぞれ約8000文字、推定少なくとも100万文字オーバー。各巻ごとに一文字でも書き損じたら書き直しである。
そんな神経をすり減らすような、集中に集中を重ね、思いのたけを込めて、一心に一心にただ天下の平安を願いながら書き連ね連ね連ねた五部大乗経の写経を……
受け取った美福門院、「あの呪詛のガチホモと手を組んでクーデター起こそうとした奴の写経なんて、どんな呪いが込められてるか」と封も開けずに 返 品 す る 。別の伝承によると、ビ リ ビ リ に 破 い て 突 き 返 す 。
まさに外道。

「今生の事を思捨て、後生菩提の為にとて書奉る、五部の大乗経の置所をだにも宥されねば、
今生の怨のみに非ず、後生までの敵にこそと仰られて、御舌のさきを食切給ひ、
其血を以て御経の軸の本ごとに、御誓状をぞあそばしける。
書写し奉る処の五部の大乗経を以て、三悪道に抛籠畢。此大功徳の力に依、日本国の大魔と成て、
天下を乱り国家を悩さん
、大乗甚深の回向、何の願か不成就哉、諸仏証知証誠し給へ、顕仁敬白」
源平盛衰記より。
この5年後に、怨霊様はご薨去あそばされる。その胸に抱いた恨みと憤りは、どれだけ深いものだったか。
哀と悲しみの怨霊様その2
かくして「現役天皇の子でない人物の天皇即位」が行われたわけだが、一応これは前例のないことではない。
……継体天皇(507年に即位したとされる、応神天皇の孫)以来ではあるけれど。

時は流れて1150年、體仁親王=近衛天皇が元服。この頃急速に貴族社会で台頭するガチホモさんと、実の子に氏長者を継がせたい藤原忠通の対立が表面化しており、近衛天皇の加冠役は忠通、理髪役は頼長という綱引きが行われていた。
元服の6日後、ガチホモさんが抜け駆けて娘を入内させる。これは2年前から要所に根回ししていたことだが、焦った忠通は自分の娘も入内を強行。同じ摂関家から2人も入内させることで貴族社会から反発を受け、忠通は勘当の憂き目を見る。更に頼長、氏長者の証・朱器台盤を源為義・頼賢親子を使って強奪。この辺の経緯、ドラマ見ただけじゃ絶対わからないと思う。

そして1155年、近衛天皇の体調が急激に悪化、薨去。既に出家した人物を除いては、近衛天皇の下の世代の皇族には重仁親王(怨霊様の実子、名目的には鳥羽院嫡男の嫡男)がいるのみで、にわかに怨霊様も政治の場へ回帰できる可能性が出てきた。となると周囲に人も増え、打ち捨てられたような扱いを受けることはなくなっていく。

そして後継天皇を決める王者の会議。この頃宮中で「ミカドの崩御はあのガチホモ野郎の呪詛によるもの」という流言が広がっており、精神的に不安定になっていた美福門院は頼長を毛嫌いするようになった、と『台記』(ガチホモのガチホモによるガチホモ日記)にある。
頼長がハブられ、相対的に忠通が復権したこの会議において、議論のベースとなったのは「とにかく重仁親王だけは避けよう」(この辺は多少ドラマ作中でも描写済み)。そのため出家済みの守仁親王が第一候補に挙がったが、何分急な展開だったため鳥羽院は彼に対する支配力が弱く、暫定措置として守仁親王の親であり鳥羽院の息子でもある人物にリリーフとして白羽の矢が立った。
後の「日本一の大天狗」……後白河天皇の誕生である。

かくして「元天皇の長男の長男」は放置され、「元天皇の九男から元天皇の四男へ」という譲位が為された。
そして朝廷主流派は絶対に、絶対に崇徳上皇の復権を許容しないということもまた、確認された





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